先日、ウィーンでのコロナウィルスアジア人差別の記事の内容をもとに、ツイッターで投稿したのですが、とんでもない間違いをしてしまい、誤解を与えてしまいました。
今回は、その間違いに対する謝罪も込めて、その記事(ドイツ語)の解説をしたいと思います。
続きを読む先日、ウィーンでのコロナウィルスアジア人差別の記事の内容をもとに、ツイッターで投稿したのですが、とんでもない間違いをしてしまい、誤解を与えてしまいました。
今回は、その間違いに対する謝罪も込めて、その記事(ドイツ語)の解説をしたいと思います。
続きを読むあまり日本では聞かないかもしれないけど、西洋社会ではリベラルというスタンスはかなり重要に考えられてる。いや…日本でも重要か。
ポリティカルコレクトネスなどもよく聞く言葉で、社会的に個人や民族を差別するスタンスをとることは知識層では嫌悪されている。会社やイベント、どのような場所でも差別に繋がるような発言は控えなければ、あっという間に距離を置かれてしまうだろう。
しかし、政治の得票率やデモなどが起こりナショナリズムが台頭しているの事実だ。それでも、表立ってナショナリズム的な発言はできない。
旧市街の写真を撮ってなかった…
アレクサンダー大王像から川を挟んで、北側が旧市街になる。
こちらの博物館の左側になる。
このエリアにはアルバニア人が多いらしい。
建物や路地は古い町並みを残しているが、確かにムスクがあったり、
ムスリムの礼拝を知らせる歌だっけな…自信ないけどアラビア語っぽい
歌も聞こえてくる。
シンガポールでもよく聞いたものだ。
私をアテンドしてくれた彼女は、なんで外でまでこんなん流すんだと、
苦言を呈していた。
彼女は旧市街を歩きながら、この街についていくつか教えてくれた。
旧市街はオスマン帝国時代の影響を受けた街並みになっている。
10年くらい前にアルバニア人との関係が悪化した時には、治安が悪くなって
夜は出歩くことができなかったらしい。
このあたりの話を聞いて、外国人としてはなかなか理解できない。
こちら、アルバニア人の分布。
アルバニアだけでなく、マケドニア、ギリシャ、モンテネグロ、セルビアに
至っている。コソヴォは全域。
これだけじゃなくて、各国の首都には結構の数のアルバニア人が住んでいるだろう。
歴史的背景としては、オスマン帝国時代にムスリムに回収したアルバニア人は
優遇され、他のエリアに領土を与えられたことが始まりらしい。
さて、マケドニアでのアルバニア人だが、25%くらいの人口比率を占め、
民族として、かなり自立を許容されているらしい。
アルバニア語での教育、アルバニア人の政党もある。
アルバニア語だが、南スラブ言語として共通点が多いバルカン半島諸国の中で、
全然違うらしい。※ギリシャも違うらしいけど。
これは逆に言うと、同化はほとんどしていないように感じた。
マケドニアでは幸いにもパーティーに参加する機会があったりもしたけど、
アルバニア人が混じっているという感じは全くなかった。
決して中が悪いというわけではないんだろうけど、同じとは考えていない。
つもり差別ではないけど、区別しているんだろうと感じた。