レーシックを受けようと思ったきっかけ【目が悪い自分との付き合い方】

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2019年レーシックを受けました。この記事を書いているのは、それから一年後にこの記事を書いています。レーシックを受けた体験記は別の記事に書いていますが、こちらでは私のレーシックを受けようと思った最初のきっかけと断念。そして、目が悪い自分とどう付き合ってきたかを書いています。

東日本大震災があり…

始めてレーシックを受けようと思ったのは2011年でした…東日本大震災がきっかけです。私は愛知に住んでおり、特に震災に大きな影響を受けたわけではないのですが、もしコンタクトレンズをつけている状態で震災に見舞われてしまったらどうなるのだろうか…震災で家には帰れない(家も倒壊しているかも)、コンタクトレンズをずっとつけているわけにはいかず、いずれ外さざるをえない。その時、眼鏡はなく視界が悪い状態での生活を強いられることになる。この時にレーシックを考え始めました。ちょうど、転職が決まっていたのもありました。

レーシック難民との出会い…

レーシック手術を思い立ち、インターネットで調べてみることにしました。まとめたページや病院のホームページなど色々読みましたが、インパクトが最も大きかったのはレーシックの後遺症で苦しむ人達、所謂レーシック難民を呼ばれる人達の手記でした。慢性的な痛みやドライアイ、ハロと呼ばれる明るさに過敏に反応する状態に苦しみ、日常生活もままならない、毎日毎日憎悪を持ちながら生きているというといった手記を読み、本当に恐怖しました。

調べたところ、通常はそういったことは起きず、医者側のミスが主な原因であることはわかりましたが(必要な衛生状態が確保できていない、検査でわかるはずの手術に不向きな目に手術を行った等々)、簡単に不安は拭えませんでした。目は一生もの、わずかな可能性、本来起きえないこと、とはいえそのリスクを許容することは難しかったです。

眼鏡、コンタクトレンズなしでの生活

レーシック後遺症の恐怖は克服できず、そこで当初のきっかけである、コンタクトレンズなしでの生活がどうなるか実践してみることにしました。当時はコンタクトレンズ毎日つけていましたが、これを付けず眼鏡を持ち歩くようにしてみました。基本は裸眼で生活し、見えずに困った時だけ眼鏡をする生活です。

これが意外と普通に生活できてしまいました。どうしても眼鏡が必要な場面は、PC操作中くらいでした。私の場合、近視の度合いは本を読んだり、携帯の操作は可能、しかしPCの文字は読めない程度でした。他は生活の上でなんとかなる範囲でした。例えば、人の顔が判別できない…近づけばわかります。遠くから判別できなくても特に困らないと感じました。また、駅での電光掲示板なども遠くからは見えませんが、近づけば見えるから問題ないと生活のほとんどの部分で折り合いがつけることができました。

裸眼で生活していける?

結論からいうと無理でした。しかし、条件付きで可能との結論に至りました。まず、当然ですが車の運転はできません。おそらく自転車も無理でしょう。次にPCの文字が読めません。私の場合、仕事をこなすことができません。また、生活はできますが、慣れていない部屋、街での生活はかなりのストレスが伴うことが予想されました。つまり、自動車の運転をしない、PCを使わない、慣れている街での生活であれば、裸眼で生活していけると考えました。

そこで当初の「震災に見舞われた時、裸眼で生活していけるか」ですが、なんとかなると考え、そこでレーシック後遺症のリスクを背負う必要はないと思い、レーシックを断念することにしました(この時点では)。

なぜレーシックを受けるのか…

この裸眼で試しに生活してみる方法。極端に目が悪いのでなければおすすめしたいと思っています。私の場合はレーシック前の視力は両目でおよそ0.1です。結果は個人の感覚によると思います。私は人の顔が判別できないことに対してストレスを感じませんでしたが、私の妻は人の顔が判別できないのが嫌で眼鏡をかけています。妻はそこまで目が悪いわけではなく、PC作業であっても眼鏡が不要ですが、よく眼鏡をかけています。私からすれば、PCが見えるなら普段から眼鏡をかけなくでもいいのでは…と感じます。これは個人差があるので、私と同じように感じるとは限らないので当然ですが。

私個人の意見ではレーシックは十分に安全性の確保された方法だと考えています。但し、リスクが全くないわけではなく、本当にわずかなリスクがあります。ほとんど不幸な事故、また提供側の不手際と言ってもいいレベルなのではないでしょうか…しかし、レーシックを受けるうえで最も大きな障壁は後遺症への恐怖、リスクを許容することだと思います。この時の、私はそれを克服することはできず、諦める行程を行い、結果論理的に諦めることができました。その8年後にレーシックを受けるわけですが、もっと前にレーシックを受ければよかったとは思いませんでした。そこは、不要という理由自分に納得させることができたからだと思います。

記事の内容としてはレーシックを諦める内容にばかり焦点がいっていますが、一つの意見として参考にしてもらえると幸いです。レーシックを受ける際には、レーシックという手術は勿論ですが、自分自身と向き合うことが大事だと思います。それがレーシックや目が悪い自分と付き合っていくことだと思います。

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